※気持ちが落ち込んだ時に→歩きながら呪文を唱える!
- 足元から恋を近づける
※歩くことってやっぱり大事。
恋は気力も体力も必要。気力も体力も萎えていると恋する気持ちさえ起らないものです。私たちの身体と心は連動しているものですが、気持ちが疲れている時ほど、歩くことで気力体力チャージが可能なのです、なんてお手軽なのでしょうか!
※気持ちが落ち込んだ時に→歩きながら呪文を唱える!
人間ですもの、落ち込むこともあるし感情がブレブレになることもありますよね。
人は振動体ですから、感情に揺らぎがあることは当然ですが、あまりにふり幅が大きすぎると、まさしく感情に振り回されてしまって疲労困憊してしまいます。
そんなにときには、エイッ!と意識を別方向に持って行くことが一番。
いろんな方法がありますが、その一つの方法として、歩きながら呪文をとなえてみてはいかがでしょうか?
恋がうまくいってないならば、
「意外に大丈夫かも」
「そうは言っても、だんだん良くなっていたのかも」
「実は、うまくいっちゃうかも」
などですね。
私の鉄板は「さ、楽しもう!」です。
気が乗らないときや、なんだかなぁ……。なんてときも、玄関を開けて一歩踏み出すときに「さ、楽しもう!」意識的に顔を上に向けて言い聞かせる感じです。
「さ、楽しもう!」
心の中の掛け声で、なんだか気持ちにパチンとハッピースイッチが入るのです。
そして、「意外に大丈夫かも」「そうは言っても、だんだん良くなっていたのかも」とブツブツ歩いているうちに、すっかりニヤニヤしているご機嫌な自分になっています、単純ですか?(笑)
人は、環境に影響される生き物ですが、その一方、自分はこうありたいという意図さえもてば自分でその環境をコントロールすることもできます、要は捉え方ですから。
歩いているときにブツブツ呪文を唱えるのが良いのは、身体が振動しているからです。
リズミカルに歩いている私たちは、杓子定規に計ったような歩幅では歩いていません。
微妙な「ずれ」「揺らぎ」をだしながら歩いています。間違いなく自分にとって最適な揺らぎ、それは心地よさなのです。
波の音の心地よさや、風に吹かれたときの木のざわめきのなんと言えない気持ちよさ。また、電車に揺られて思わず眠っちゃった経験をお持ちかと思いますが、同じような状態を自分へ与えています。この揺らぐ状態が身体を正常に戻してくれる役目を果たしてくれています。
歩きながら呪文を唱えるのは、身体と心と呪文が共振しあうことの相乗効果を狙っているのです。
呪文はあなたの気持ちが明るくなるものをどうぞ。ポイントは「意外に」とか「〇〇かも」と、もしかしたらという期待を感じさせる言葉を入れておくことです。